大阪高等裁判所 平成7年(ネ)732号 判決 1997年9月16日
控訴人
田上綱彦
外二名
右三名訴訟代理人弁護士
鎌倉利行
同
檜垣誠次
同
畑良武
同
山本次郎
同
持田明広
同
密克幸
被控訴人
学校法人大阪工大摂南大学
(旧・学校法人大阪工業大学)
右代表者理事
藤田進
外三名
右四名訴訟代理人弁護士
熊谷尚之
同
高島照夫
同
中藤幸太郎
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴人らの当審における追加的変更にかかる訴えをいずれも却下する。
三 控訴費用(当審新請求に関する費用を含む。)は控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 原審における請求(以下「旧請求」という。)
(一) 被控訴人らは、その費用をもって、控訴人らのために、別紙一の謝罪広告を、見出し・記名・宛名は各一四ポイント活字をもって、本文その他の部分は八ポイント活字をもって、株式会社朝日新聞社発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社発行の毎日新聞、株式会社読売新聞社発行の読売新聞及び株式会社日本経済新聞社発行の日本経済新聞の各朝刊全国版社会面に、また、被控訴人学校法人大阪工大摂南大学(旧、学校法人大阪工業大学)発行の学園報及び大阪工大摂南大学(旧、学校法人大阪工業大学)学園校友会発行の工大学園校友会タイムスに、それぞれ掲載せよ。
(二) 被控訴人らは、被控訴人学校法人大阪工大摂南大学(旧、学校法人大阪工業大学)が昭和五八年一〇月三〇日付で発行した学園史(創設史実編)、及び昭和六一年五月一六日付で発行した図説学園創設正史をそれぞれ回収し廃棄せよ。
(三) 被控訴人らは、別紙図面A地点に設置されている田上憲一句碑の碑文中、被控訴人らの削除した学園創設者の文字を右句碑に復刻復旧して、同図面B地点に右句碑を移転復元し、同図面C地点に設置されている田上憲一胸像に、被控訴人らの除去した学園創設者と記載されたプレートを設置復旧して、同図面D地点に右胸像を移転復元せよ。
(四) 被控訴人らは、別紙図面E地点に設置されている学園創立六〇周年記念顕彰碑を撤去せよ。
3 当審における訴えの追加的変更にかかる請求(以下「新請求」という。)
(一) 被控訴人らは、その費用をもって、控訴人らのために、別紙二の謝罪広告を、見出し・記名・宛名は各一四ポイント活字をもって、本文その他の部分は八ポイント活字をもって、株式会社朝日新聞社発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社発行の毎日新聞、株式会社読売新聞社発行の読売新聞及び株式会社日本経済新聞社発行の日本経済新聞の各朝刊全国版社会面に、それぞれ掲載せよ(ただし、前記2(一)に対する予備的請求)。
(二) 被控訴人らは控訴人田上綱彦に対し、各自金三〇〇万円を支払え。
(三) 被控訴人らは控訴人田上貢平に対し、各自金一〇〇万円を支払え。
(四) 被控訴人らは控訴人田上順彦に対し、各自金一〇〇万円を支払え。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
5 仮執行の宣言(前記3(二)ないし(四)につき)
二 被控訴人ら
1 本件控訴及び新請求をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 当事者の主張は、原判決事実欄第二のとおりであるから、これを引用する。
二 当審主張
1 控訴人ら
(一) 本案前の主張について
(1) 被控訴人らの一連の行為が違法性を有するか否かは、被侵害利益と侵害行為の態様との相関関係において考察されるべきである(相関関係説)。すなわち、被侵害利益が大きければ、侵害行為の不法性が多少小さくても、加害に違法性が認められることとなるが、被侵害利益があまり大きくない場合には、侵害行為の不法性が受忍限度を超えるような場合に限り、右違法性が認められることになろう。しかるに、被控訴人らの行為は、具体的な事実を摘示して、亡憲一及びその遺族である控訴人らの社会的評価を低下させたものであるところ、その表現内容は著しく悪辣であり、表現態様は印刷物を使用して大量に社会に宣伝流布するというものであって、名誉に対する侵害の程度はまことに甚大である。被控訴人の行った学園史の見直し作業(以下「本件学園史作業」という)は、学園史の見直しという美名に名をかりただけのものであり、実は、亡憲一を学園創設者の地位から引きずり落とし、控訴人田上綱彦(ひいては田上家)を学園から永久に追放することを企図して、公正妥当な目的もないまま、一方的かつ恣意的に、十分に史実を審理せず、偏頗な資料のみを集めて、短時日の内に敢行された学園史の改変・改竄である。したがって、亡憲一が学園創設者であると否とにかかわらず、右被控訴人らの一連の行為は違法であるというべきである。
(2) 名誉毀損に関する最高裁判例(最一判昭和四一年六月二三日民集二〇巻五号一一一八頁)の、違法性阻却に関する、(ア)事実の公共性、(イ)目的の公益性、及び(ウ)真実性ないし誤信の相当性の三要件に照らしても、この点は明らかである。すなわち、被控訴人らの本件学園史作業は、もっぱら亡憲一に対する社会的評価の低下と控訴人田上綱彦ら田上家の学園からの追放という私益を図るための行為であって、右三要件中(イ)を欠くため、違法性が阻却されないことは明らかであるから、名誉毀損の成否を判断するためには、真実性または相当性の判断は不可欠ではなく、したがって、学園創設者が誰であったかを判断する必要はないというべきである。
(3) 学園創設者の概念について
(a) 確かに学園創設者を確定すべき法的基準は存在せず、学園創設者なる概念は事実上の概念であるといわざるをえない。しかし、たとえ事実上の問題であっても、その事実が長期間原則的に反復して行われれば慣行(慣例)となり、さらに、右慣行を行なうべきであるとする社会通念が持続されれば、やがて慣習となるのであって、事実の反復的な集積が法規範性を帯びる場合があるのである。したがって、事実上の問題であるがゆえに、法的帰結を導くことができないという一般論には疑義がある。また、確定と評価とは次元を異にする問題である。学園創設者は、「学校設立の実質的な発起人であり、かつその原動力となった者」をいい、慶應義塾大学や早稲田大学の学園創設者の例で明らかであるように、学園創設者という概念は一般社会の中では定着した慣用語となっている(学校設立の形式的申請者にすぎない設立者や理事長とは異なる概念であって、かつ社会通念上も、この区別は承認されている。)のである。したがって、裁判所において、学園創設者が誰であるかを確定することはできないとしても、学園の自治的法規、慣習ないし条理を駆使して、いかなる者を学園創設者として評価すべきかという評価判断を行うことは十分に可能である。本件においては、誰が真実の学園創設者であったかを確定する必要まではないというべきである。
(b) 亡憲一についてこれを見るに、同人は、本件大学創設後間もなく学園創設者としての評価を受けるようになり、右評価が集積して、本件大学自体より、学校法人大阪工業大学寄付行為(昭和二九年二月三日改正)において、創設者としての評価を明文化されるまでに至ったものであり、学園史において、亡憲一以外の者が学園創設者として処遇された例はない。右経緯に照らすと、亡憲一が学園創設者であるとする慣習的評価が形成され、あるいはそのように評価判断することが条理にかなうことであると考えられるまでに達していることは明らかである。
(4) 以上によれば、亡憲一を本件大学の学園創設者であると評価判断すれば十分であり、誰が真実の学園創設者であったかを確定する必要はないというべきである。したがって、控訴人らの訴えを不適法却下した原判決は相当でないので、本来ならば、民事訴訟法三八八条により、原判決を取り消して、原審裁判所に差し戻すことを要するものと考えられるが、控訴人ら及び被控訴人らは、原審において、すでに実体面に関しても詳細な主張立証を展開し、かつ審理を相当程度尽くしているというべきであるから、控訴審において、請求の当否についての実体判断がなされても、被控訴人らの審級の利益を害することはなく、訴訟経済上も有利であるというべきである。
(二) 新請求について
(1) 訴えの追加的変更について
(a) 新請求は、旧請求の訴訟物である亡憲一及び控訴人らの各名誉回復請求権のうち、控訴人らの名誉回復請求権だけを新たに前記第一、一3の請求として構成したにとどまり、その請求原因事実は旧請求の請求原因事実の一部にすぎず、かつ原審において詳細に主張立証してきたものである。したがって、新請求の争点は旧請求においてもすでに主要な争点となっており、かつ旧請求についての訴訟資料や証拠資料は新請求の審理に直ちに利用可能であって、右訴えの追加的変更を被控訴人らにとって予想外の変更ということもできないから、被控訴人の防御に支障をきたすことはない。
(b) 著しく訴訟手続を遅滞させないことという要件は、新請求の審理のために、別訴を審理するのと変わらない程度に著しく長時日を要し、訴訟経済に反することとなるような訴えの変更を制限しようとするものであるが、本件においては、控訴人らは、原審において新請求に関する主張立証についてもすでに十分行っており、新請求の審理のために著しく長時日を要するということはない。
(2) 新請求の請求原因
(a) 不法行為
(ア) 本件学園史
被控訴人らは、本件学園史において、以下のとおり、控訴人らの名誉を毀損する記述を行った。
① 座談会―学園史検討委員会の中間答申を読んで 二五三頁上段
「五〇年史編集委員の一人でありました豊谷さん、この方は先日亡くなられましたけれども、その方があるとき、『少ない資料を基にして年史を書くんだけれども、それが全部田上綱彦氏の手によって、真っ赤になるほど田上色に書き改められる。これじゃ、何のために自分が書いているのかわからないということで、強く抗議したことがあるんだ』というようなことを言われておられました。また実際に、そういう真っ赤になるほど訂正された原稿を清書したものを最終的に田上氏が見られて、それをさらに都合のいいように書き改められた、その五〇年史の原稿が学園史料室にございます。ですから、これがいかに歪曲された年史であるかということが、五〇年史、六〇年史を通じて言えると思います。」
② 同 二五五頁下段
「五〇年史、六〇年史を調べてみると、当時の執筆担当者である田上綱彦氏が、創設の欄は全部自分で都合のいいように筆を加えてそのまま印刷に回した。チェックする機関がなかったのです。従って理事会がこれをひと通り読んで、あるいは時の事務局長、理事長も読んで、是非をよく精査した上で印刷に回すという、そういうことはやっていなかった。」
③ 同 二七一頁下段、二七二頁上段
「H いまB先生が言われましたように、十九年ないし二十年後にやっと理事長になるという、創設者不自然論というのは、そのへんにもあるんです。どこの学校でも、創設者というものが二十年も学園長にならないなんていうことは、これは考えられないわけです。ましてそれまでの二十年間というものは、いまのような大学でもなく、いわば夜間を中心にした学園だったんですから。それがようやく二十年を経た後に、坂本先生の跡を受けるというところに、やはり真の創設者かどうかという問題が残るところだと私は思うんです。ただ、田上憲一先生ご本人、あるいはその孫の田上綱彦氏側で、極力創設者ということにシナリオを書いたというに過ぎないのです。」
しかし、五十年史及び六十年史は、いずれも日本文化史、国語学の専門家の執筆及び校閲によるものであって、学園創設以来の文献資料によく適合しているばかりでなく、被控訴人藤田自身、五〇史冒頭の「五〇年史の上梓に際して」の中で、亡憲一を学園創設者として公認・公表し、他の被控訴人らもこれに同調していた。それにもかかわらず、被控訴人らは、右記述のとおり、自説をいとも安易に改変し、控訴人田上綱彦が右両史に作為、改竄を加えたかのように中傷するものである。そして、右記述の真実性・公正性の判断の前提としては、右記述の内容に照らして、その当時亡憲一が学園内外で学園創設者と評価されていたことが確定されれば足りるのであって、真の学園創設者が誰であったかを確定しなければならないものではない。
(イ) 本件図説
被控訴人らは、本件図説中の三〇頁「歴史の汚点」において、以下のとおり、控訴人らの名誉を毀損する記述を行った。
「歴史の汚点は、建学の理念を汚し、学園を興した先人の崇高な精神に対する背信に他ならない。学園は初代設立者・校主 本庄京三郎、初代理事長・校長 片岡安と、これに協力した当時大阪府建築課長池田実氏ら多数の人士が犠牲的精神をもって社会のために創設したものであり、前頁までの諸資料を見ても自明のことである。しかるに、昭和一七年三月、三代理事長に就任した専務理事田上憲一が、初代設立者・校主 本庄京三郎、初代理事長・校長片岡安らを無視し、自らを創設者とする虚構を立て、以来、田上家は三代にわたって学園を田上家の運命共同体として位置付け、この私物化思想を世襲的に具現することに終始したのである。教育という公益性の高い事業を遂行する学園にとって、この期間は誠に不幸な時代であり、その発展に対して計り知れない損失をもたらしたのである。」
しかし、私物化思想の具現というのは、自己のためにする不当な利権的給付を伴うときにこそ糾弾すべき表現であり、田上家と学園との間にそのような事態が発生したことは未だかつてない。また、田上家三代が学園に関与した期間を不幸な時代ときめつけているが、同家の関与によって、学園が拡大発展したことはあっても、逆に縮小後退した事実はないのであるから、右記述もまったく根拠がない。そして、右記述の真実性・公正性の判断に際しての争点は、私物化思想を具現したか否かであるから、その違法性の判断と学園創設者の確定の議論とは次元を異にする問題であって、右前者と後者とは、無関係に判断することができるものである。
(ウ) 右両史の宣伝、配布及び中傷
① 被控訴人藤田は、本件学園史を、昭和五八年一〇月二二日ころ大阪工業大学(現大阪工大摂南大学)の職員全員に配布し、そのころ、校友会役員、各支部役員にも配布した。
② 同被控訴人は、同月二六日、同大学会議室において、被控訴人福田の招集により開催された同大学事務系役職者(部課長、係長、主任ら)に対する本件学園史説明会の席上、本件学園史を宣伝して、亡憲一と控訴人田上綱彦に対する中傷を行った。
③ 被控訴人藤田、同青井らは、同月二九日、同大学会議室において、同藤田の要望により開催された同大学校友会六十周年募金委員会の席上、本件学園史を再度配布して、約二時間にわたり、本件学園史の宣伝と亡憲一と控訴人田上綱彦に対する中傷を行った。
④ 被控訴人法人は、昭和六一年五月一六日、被控訴人藤田の命により、本件図説を発行して、控訴人らに対する中傷を行った。
(b) 謝罪広告請求
被控訴人らは、前記各行為により、控訴人ら自身の名誉を毀損しただけでなく、右両史を回収・破棄することなく、社会にこれを放置し、控訴人らの名誉を継続的に侵害しており、控訴人らの名誉を回復するためには、前記第一、一3(一)記載のとおり、全国版日刊紙における謝罪広告を求めるほかはない。
(c) 損害賠償請求
被控訴人らは、前記一連の名誉毀損行為により、控訴人らの亡憲一に対する敬愛追慕の情という人格的利益を侵害し、かつ控訴人らの学園内外における社会的評価を低下せしめたものであって、控訴人らの右精神的損害を慰謝するに必要な金額は、控訴人田上綱彦につき金三〇〇万円、その他の控訴人らにつき金一〇〇万円が相当と思料する。
(d) よって、控訴人らは被控訴人らに対し、民法七〇九条、七一〇条及び七二三条に基づき、前記第一、一2の請求が認められない場合には、予備的に、同一3(一)の請求を行うとともに、同(二)ないし(三)のとおり、損害賠償を求める。
2 被控訴人ら
(1) 学園創設者の確定について
(a) 本件学園史における亡憲一および控訴人田上綱彦に関する記述は、全体の記述との関連で読む限り、学園創設者は亡憲一ひとりであると言えるかどうかの議論の過程において、同控訴人が、五〇年史及び六〇年史において、事実に反して、亡憲一を学園創設者とする方向にもっていったという趣旨を述べるものである。したがって、裁判所が、右記述の真実性、公正性を全体との関連において判断するためには、亡憲一ひとりを学園創設者として顕彰することが正当なのかどうかという議論を避けて通ることはできない。
本件図説についてこれを見ても、その記述は、要するに、亡憲一は、自らを学園創設者と虚構し、以来田上家は三代にわたって、亡憲一が学園創設者である以上学園と田上家とは運命共同体関係にあるという、学園私物化思想を世襲的に具現してきたが、これは学園の歴史の汚点であると評価されるべきであるという趣旨のものであって、右記述は、亡憲一が学園創設者を虚構したことを大前提としている。
(b) 被控訴人らも、控訴人ら主張の相関関係説自体は認めるものであるが、本件におけるその具体的適用や帰結に関する控訴人らの主張は争う。控訴人らの主張する旧請求における被侵害利益は、「私学における元・前理事長亡憲一の学園創設者という名誉」なのであるから、もっぱら死者の名誉に関するものというべきである(控訴人ら自身の名誉は、控訴人らの主張によっても、亡憲一の名誉が毀損されたことから発生する被害に過ぎない。)ところ、死者の名誉については、死者が有形、無形を問わず、およそ利益帰属主体とはなりえないことに照らして、生者のそれに比べ、要保護性の程度が低いことは当然であること、本件においては、すでに十数年前に死去した死者の名誉が問題であること、さらに、右請求は、公共性をもつ事実の摘示によって、(準)公人たる地位にあった者の、それ自体が公共的内容をなす名誉が侵害されたとするものであるが、同人は、公職にも準ずべき私学の理事長の地位にあった者であって、被侵害利益の主体や内容はこのように公共性の面を考慮して考えなければならないこと、以上の諸点を併せ考えると、かかる地位にあった死者に対する事実摘示ないし論評については、現存の一般通常人とは異なり、虚偽虚妄による場合など、著しく程度を失する場合にのみ違法性を帯びると解するのが、相関関係説の趣旨に即するものというべきである。
(c) 違法性阻却事由との関連においても、同様のことがいえる。すなわち、名誉毀損の違法性阻却事由としては、被害者保護の要請と表現の自由との調和の見地から、(ア)事実の公共性、(イ)目的の公益性、及び(ウ)真実性ないし誤信の相当性の三要件が満たされて、初めて違法性が阻却されるものとされているが、本件においては、私学における学園創設者如何の問題は、建学の精神にもかかわる史実として、これまでの学園の歩みを決定づけてきたものであるばかりでなく、今後の学園の発展の礎ともなるものであって、それ自体、高度の公共性をもつ私学の根幹にかかわる問題であり、それについての事実摘示ないし論評はそれ自体として公共の利害にかかわるものなのであるから、右(ア)及び(イ)の要件を当然に充足していることは明らかである。そうすると、被控訴人らの行為の違法性阻却事由の存否は、ひとえに右(ウ)の吟味、すなわち、従来の学園創設者に関する取扱が史実に反するかどうか、亡憲一を学園創設者とする説が正しいかどうかの吟味にかかるといわざるをえない。
(d) 控訴人らは、裁判所において、学園の自治的法規、、慣習あるいは条理等を駆使して、いかなる者を学園創設者として評価すべきかという評価判断を行うことは十分可能であって、真実の学園創設者を確定する必要はないと主張する。しかしながら、被控訴人らは、本件学園史作業において、亡憲一ひとりを学園創設者と位置づけることは適当ではないと結論したものであるが、右結論の真偽についての訴訟上の判断にあたって裁判所がなすべきことは、明文ないしは社会通念上確立した法的基準に則って、学園創設者という概念の内容を法的に定立したうえで、本件大学における学園創設者として評価・判断すべき者は誰であるかという点を法的に確立することである。しかるに、学園創設者という概念は未だ法的規範性をもたない単なる事実的概念であるにすぎず、かかる法的基準は現存していないために、何人を学園創設者として法的に確定するかという評価・判断ができないこととなるのである。要するに、問題は「学園創設者」概念が法的概念として定立しているか否かであり、その意味において確定の問題と評価の問題とは渾然一体のものであり、これらを異次元のものであるとする控訴人らの主張は理解し得ない。
(e) 以上いずれにしても、裁判所は、控訴人ら主張の各行為の違法性を判断するにあたり、まずもって、「亡憲一が学園創設者であるとの虚構」という記述の真実性判断に直面することとなるというべきである。
(2) 大学の自治
仮に裁判所において学園創設者の確定が許され、被控訴人法人の学園創設者は亡憲一であると裁判所によって確定されるとすれば、被控訴人法人は、以後、亡憲一学園創設者説に立脚し、その建学の精神なるものに依拠して、将来の進むべき方向を模索し、確立しなければならないこととなる。
しかし、その後に重要資料が発見されて、同説の誤謬が判明した場合、同説の修正作業もまた名誉毀損とされかねない危険にさらされることとなるのであって、極論すれば、学園創設者の論議が再燃するたびに、公権力の介入によって、被控訴人法人の存立の基盤が確定され、変更されるという由々しき事態となることとなり、これでは被控訴人法人の自主性は無に帰するに等しいといわざるをえないこととなる。したがって、自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成している被控訴人法人のような組織においては、学園創設者が誰であるかというような内部問題は、被控訴人法人自身の中で解決され、公権力はこれに容喙すべきではないと考えるべきである。
(3) 訴えの利益の欠缺
旧請求は、亡憲一に民事上保護されるべき名誉の存在することが前提とされている。しかしなから、たとえ死者に対する社会的評価が存在し、それが低下せしめられたとしても、前述のとおり、死亡により利益帰属主体たりえなくなった死者には、そもそも損害という概念をいれる余地はないこと、仮に死者の名誉毀損につき、不法行為が成立するとしても、死者の名誉回復については、請求権者、請求期間、救済内容等につき、一切の実定法上の根拠を欠く現行法の下では、その請求権を行使することは許されないことを併せ考えると、死者は不法行為損害賠償請求権の帰属主体ともなりえないと考えられる。したがって、もはや死者には民事上保護されるべき名誉は存在せず、旧請求は訴えの利益もないというべきである。
(二) 新請求に関する主張
(1) 新旧両訴の請求の基礎が同一であるというためには、両訴の主要な争点が共通であり、訴訟資料、証拠資料を利用できることを要する。ところで、旧請求は、被控訴人らが、すでに数十年にわたり学園内外において、世人が亡憲一に対して与えてきた学園創設者としての評価を、一連の虚偽誣罔の行為により毀損し、よって亡憲一及び控訴人らの名誉を毀損したという事実を基礎とするものであり、そこでの学園創設者が何人かという不可避の争点についての当事者は亡憲一である。これに対して、新請求は、亡憲一が学園創設者であるか否かの問題を捨象して、前記一連の名誉毀損行為によって、控訴人らの名誉を毀損したという事実を基礎とするのであるが、そこでの争点となる私物化思想を世襲的に具現した当事者は控訴人ら自身であるというものである。
しかしながら、新請求において控訴人らが主張する被控訴人らの名誉毀損行為は、亡憲一学園創設者説の否定を前提とするものであり、学園創設者問題と密接不可分のものである。それにもかかわらず、控訴人らは、あえて学園創設者問題を除外して、控訴人らの独自の被害を主張するものである。そうすると、新旧両訴は、主要な争点、当事者及び被害の態様がいずれも異なることになるのであって、請求の基礎に同一性はないというべきである。
(2) 旧請求は、昭和六一年一〇月二一日提起後平成七年三月七日原判決言渡に至るまでの約八年半の長期にわたり審理されてきたものであり、その間に、控訴人らが訴えの追加的変更により、新請求を提起する時間的余裕は十分あったうえ、審理がこのように長期に及んだのは、原審裁判所から再三積極的な訴訟遂行を促されながら、これに応じようとしなかった控訴人側の訴訟推進の熱意と努力の欠如に起因するものであったこと、前記(1)によれば、旧請求についての訴訟資料や証拠資料は新請求の審理に直ちに利用可能とはいえないことを併せ考えると、新請求の審理のためにさらに時日を要し、著しく訴訟手続を遅滞させることは必至である。
(3) 以上によれば、控訴人らの訴えの追加的変更は許されない。
理由
一 当裁判所は、控訴人らの当審主張立証を考慮してもなお、本件請求及び当審拡張請求はいずれも却下すべきであると判断する。その理由は、以下のとおり補正するほかは、原判決理由記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決二二枚目裏一〇行目の「主張するが、」の次に「しかるべき根拠に基づいて、実際には亡憲一が被控訴人法人の学園創設者ではなかったことが明らかになったとすれば、右社会的評価は誤っていたことに帰するから、その場合に学園史におけるかかる誤謬を訂正することも許されるものというべきであり、」を加え、同二三枚目表三行目の「学園見直し」を「学園史見直し」と改める。
2 原判決二三枚目裏二行目の次に行を改めて以下のとおり加える。
「 これらの点について控訴人らは、当審主張1(一)(1)(2)のとおり主張する。
しかし、本件において毀損されるのは死者である亡憲一の名誉であり、控訴人らは、その亡憲一に対する敬愛追慕の情という人格的利益を侵害されたと主張するものである。そして、毀損を問われている行為の基礎とされているのは、相当な規模を有する私立学校である本件大学において、過去に長期間その理事長等の地位にあった者に対して、その学園創設者が誰であったかを問うという、その建学の理念や教育方針にも影響を与える性質のものである(なお、控訴人綱彦が新請求において主張している控訴人ら固有の名誉なるものも、後に述べるように、亡憲一が学園創設者であったか否かという事実と切り離して判断することのできないものとして結び付く性質のものであるといえる。)から、それは、公共の利害に関係する事実にかかわるものであるということができる。また、本件学園史作業が、被控訴人法人の時の理事者により、昭和五七年九月に学園史検討委員会を設置し、その検討結果の答申について、理事である控訴人綱彦も出席している理事会で、審議を重ねてその承認を得、その結果の評議員会への報告を経るという、それ相当の手続を踏んで行われている(甲三、九五ないし九八、乙一八〇、一八一、一九一ないし一九四、二一六ないし二二一)ところからすれば、それは、明確にそれを否定するに足りる事情が認められるのでないかぎり、公益を図る目的に出たものであると推認されるところである。
控訴人らは、本件学園史作業は学園史見直しの美名をかりて控訴人綱彦(ひいては田上家)を学園から永久に追放することを企図したものであると主張する。しかし、当面問題となる控訴人綱彦について見れば、同控訴人が、被控訴人法人の職員としての身分を喪失するに至ったのは、その事務局長を辞任して昭和五七年八月一日にその常務理事を命じられた際の雇用契約の合意解約の効力によることであり、その理事(もともと任期制である。)の地位を喪失したのは、在任期間中の自己の行為が寄附行為所定の解任事由に該当することを理由とする昭和五九年一〇月の理事会の解任決議によるものである(乙一三七ないし一三九、一七六、二二一、二三三、二三四、弁論の全趣旨)。仮に控訴人綱彦が学園創設者の孫ではないということになれば、その被控訴人法人内における発言力が相対的に低下することは明らかであると思われるところ、当時、被控訴人らが学園史見直しの契機となったと主張する、昭和五六年一二月に始まった怪文書(一連の投書)事件をめぐって控訴人綱彦と被控訴人藤田の間に確執が生じていた(弁論の全趣旨)ことから考えれば、そのような効果をも意図したものかと推認されないではない。しかし、それはそれとして、本来、学園創設者が誰であるかということと控訴人綱彦の被控訴人法人職員の身分、理事の地位の喪失とは直接関係がないことであるから、控訴人綱彦の右身分等喪失の事実の故に本件学園史作業に控訴人ら主張のような意図があったものと認めることはできない。
また、控訴人らは、名誉毀損事実の流布の内容・態様が悪辣で広範囲にわたるものであることを主張する。しかし、まず、その内容については、証拠(甲一、四、乙四五ないし四八、五四、五五、七五、七九ないし八二、二三七ないし二四九)及び弁論の全趣旨によれば、亡憲一は、昭和一七年から同二一年二月まで及び昭和二九年六月から同四四年一月まで被控訴人法人の理事長の地位にあったものであるが、右理事長就任前及び在任中に、自らが学園創設者であることを強く主張してこれを理由とする自己及び田上家の利益につながる寄附行為の変更等を企図してその一部を実現し、大阪工業大学新聞部発行の昭和三四年一〇月二八日付、同年一一月二五日付の大阪工業大学新聞により、寄附行為改定問題(先に昭和二九年二月三日の改正により、その八条二項は「創設者田上憲一またはその直系卑属並びに本学園の創設、維持発展に功労のあった者は、評議員会の同意を得て、理事会の決議により内一人は理事とする。」と改定されていたものであるが、右新聞の記事によれば、それを「創設者田上憲一及びその直系卑属のうち一人又は直系卑属のうち二人以内は評議員会の同意を得て理事となる。」と、さらにその二五条一項を「理事会は創設者田上憲一またはその直系卑属たる理事のうちから学園長を推挙する。」と、改めようとしたが、認可を受けるには至らなかったとされている。)について、「学園長を封建的世襲制度とするなどは時代を逆流するものであり、現代的感覚を全く欠いているとしか思えない。」等の、手厳しい批判を受けていることも認められるのであって、その間の経緯に関する事実に鑑み、また、本件学園史を文部省、大阪府、関係私学等にも配布し、本件大学教職員に対するその説明会を行った等の流布の態様についても、それが五〇年史、六〇年史等に掲載されていて、右らの配布先にも知れわたっていると思われる事項の誤謬訂正をする意図の下に行われたものであることを思えば、これらのことから、直ちにそれが控訴人ら主張のような目的でなされたものであると推認することはできない。右控訴人らの主張にそう甲一六六の一、乙一八三ないし一八五の記述は、右に述べたところに照らしてそのまま採用することはできず、他にその主張事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、控訴人ら主張の被控訴人らの行為が違法であるという控訴人らの主張の当否を判断するためには、被控訴人法人の学園創設者が誰であったかの判断を避けて通ることはできないというほかはなく、右控訴人らの主張は採用できない。」
3 原判決二四枚目表三行目の「でもなく、」を以下のとおりに改める。
「でもない。この点に関して、控訴人らは、当審主張1(一)(3)のとおり主張する。そして、その主張に関して、いくつかの私立学校の創立者・設立者(そこでは、特に右両者の区別がなされているわけではない。)を紹介している文部省検定済教科書(甲一六〇、一六一)、また、いくつかの私立学校について、創立者とされている人物につき、その生立、経歴、学校設立の背景事情、当該人物がその設立を志した契機、その設立に参画した人々、当該学校の設立経過や概要、その中で当該人物が果した役割等を記述した年史等(甲一三二ないし一三四、一六二、一六三)を証拠として提出・引用している。しかし、それらはいずれも、当該私立学校の、卒業生等多数関係者を含めた内部において、長期間にわたって特段の異論が表に出ることもなく承認され定着してきているものに関する記述であり、そのうちの前者は、その旨の評価が、一般社会においてそのまま容認され通用していることが前提となって紹介されているにすぎないものであると推測される。そして、特に建学の精神に基づく独自の伝統ないし教育方針によって社会的存在意義が認められる私立学校においては、個々の私立学校は当然それぞれに強い個性を有するものであり、本件大学もまた同様であると解される。これらの点を併せて考えれば、右控訴人ら引用例の記述(仮にこれに類するいくつかの例を加えて見たとしても結果は同様と思われる。)の中から、そこで創立者と評価されている人物に関する共通項を拾い上げて集約帰納してみても、そこから、他の私立学校における特定人に対する学園創設者としての従来の評価に対して当該私立学校内部から異議が出て紛争が生じた場合に、控訴人ら主張のようなそこでの自治法規や慣習、ないしは条理で補完さえすれば右特定人がそこでの真実の学園創設者であるといえるか否かを法的に評価判断する基準とするに足りる程の学園創設者の概念を、さらには法規範性を有するそれを、明らかにすることができるなどとは到底認めがたいところである。したがって、控訴人らがその(b)において主張するような経緯から、その主張するような結果を導き出すことは到底できないところであるから、右控訴人らの右主張は採用できない。したがって、それは、」
4 原判決二四枚目裏一〇行目の「なお」から同二五枚目裏四行目末尾までを以下のとおりに改める。
「次に、新請求について検討する。新請求は、前記第二、二1(二)(2)のとおり、被控訴人らが、(ア)本件学園史において、控訴人綱彦が、五〇年史及び六〇年史を、亡憲一は真実には学園創設者でないのに、同人を学園創設者とするなど、田上家に都合のよいように改変、歪曲したと中傷する記述をしたこと、(イ)本件図説において、学園は初代設立者・校主本庄京三郎、初代理事長・校長片岡安と、これに協力した当時大阪府建築課長池田実氏ら多数の人士が創設したものであるのに、亡憲一は、①「自らを創設者とする虚構を立て」、以来、田上家は三代にわたって②「学園を田上家の運命共同体として位置付け、この私物化思想を世襲的に具現することに終始し」、学園の発展に対して計り知れない損失をもたらしたと中傷する記述をしたこと、(ウ)右両史を発行、宣伝して、亡憲一及び控訴人らに対する中傷を行い、かつ右両史を回収・破棄することなく、社会にこれを放置し、控訴人ら自身の名誉を継続的に侵害していることを理由として、控訴人らが被控訴人らに対し、損害賠償及び原状回復を求めた事案であり、新請求もまた、それ自体としては、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否についての紛争に当たるということができる。
しかし、控訴人ら主張の各行為は、いずれも、亡憲一が真実には学園創設者ではなかったのに、亡憲一及び控訴人田上綱彦らが、右真実に反して、亡憲一が「学園創設者」であるとする虚構を作り上げてきたとの、歴史的事実に関する主張を前提とするものであって、新請求もまた、旧請求と同様に、亡憲一の社会的評価が違法に低下せしめられたとの事実の存否及び被控訴人らによる亡憲一の評価の真実性又は相当性をその本質的争点とするものであり、その判断をするについては、被控訴人法人の学園創設者が誰であったかについての判断が不可欠であるといわざるをえない。
すなわち、まず控訴人綱彦について見るに、右(ア)の点は、都合のよいように書き改めあるいは加筆したのか否か、極力創設者ということにシナリオを書いたのか否かは、亡憲一が真実学園創設者であるのか否かが決まらなければ判断のしようがない事柄である。また、右(イ)の点については、控訴人綱彦は三代目としてその②のみを行ったと記述されているもののようであるけれども、亡憲一はその①、②を行ったと記述されているところ、控訴人綱彦はその孫(承継者)として②を行ったというのであり、亡憲一が被控訴人法人の理事長に返り咲く前になされた昭和二九年改正後の被控訴人法人の寄附行為八条二項の規定は先に認定したとおりであるところ、控訴人綱彦は、右規定を根拠として田上家と被控訴人法人は学園創設以来いわば運命共同体の関係にあるとしている(乙五五。なお、この間の事実はいずれも本件図説に記載されている。甲四)のであって、そのような意識のもとにこれを行っているのであるから、控訴人綱彦固有の問題についてみても、右②の点は①の点が切り離して判断することのできない前提となっているものというべきである。
次に、控訴人貢平及び控訴人順彦について見るに、亡憲一の二代目である二男田上昌夫は、昭和二〇年三月、フィリピンで戦死したが、応召する以前は、財団法人関西工学理事や摂南工業学校(大阪工業大学高等学校の前身)校長を勤めていたものであるところ、同三代目である昌夫の二男控訴人貢平は、昭和三八年大学卒業後は積水化学工業株式会社に勤務し、また、同昌夫の四男控訴人順彦は、昭和四〇年大学卒業後は株式会社大阪変圧器に勤務して、いずれも被控訴人法人の事業遂行とは直接の関係なく現在に至っている(甲一六七、一六八、弁論の全趣旨)。そして、本件図説の右(イ)の記述は、田上家三代という表現を用いているけれども、これを全体として読めば、田上家三代に属する人全員ではなく、その中で本件大学の事業遂行に直接関与した者を対象としたものであることは明らかであるから、これによって控訴人貢平及び控訴人順彦の社会的評価が低下させられることはないものというべく、結局、右両控訴人については、亡憲一が右(イ)の①及び②を行ったとの記述によって、その亡憲一に対する敬愛追慕の情という人格的利益を侵害されたにとどまるものというべきである。
そして、前記二及び三で述べたところ並びにそれらの前提とした事実及びその認定に供した証拠関係に照らせば、控訴人ら主張のように、その主張の各記述の真実性・公正性の判断の前提としては、その当時亡憲一が学園内外で学園創設者と評価されていたことが確定されれば足り、それ以上に真の学園創設者が誰であったかを確定するまでの必要はないということはできないところである。
そうすると、右各行為が控訴人らの名誉を毀損するものであったか否かを判断するためには、被控訴人法人の「学園創設者」が誰であったかについての判断が不可欠であるところ、その判断については、旧請求に関して既に判示したのと同様の理由により、裁判所は審理判断をなしえないものである。したがって、新請求の訴えもまた、裁判所の審理判断が許されない性質の事柄を本質的争点とするものであって、その実質において法令の適用により終局的に解決することができないものであるといわざるをえないから、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」に該当せず、却下を免れないというべきである。
二 よって、本件控訴を棄却し、当審拡張請求にかかる訴えを却下することとし、控訴費用(当審新請求に関する費用を含む。)の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官富澤達 裁判官古川正孝 裁判官三谷博司は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官富澤達)
別紙<省略>